ピアノ教室の使命とは、人としての心・感性を育てることだと思っています。
人としての心・感性が育っていれば、酒に酔った部下に性的暴行を加えるような検事は出現しないはずです。
暴行された女性も検事でした。
数年前には、つくば市にある中等一貫教育の中等部でも、複数の女子生徒に対する強制わいせつの罪で逮捕された教諭もおりました。
コロナが2類から5類になっても、発熱患者の診察を拒否している医師もいる。
発熱の症状がある疾患はコロナ感染症だけではないのに。
若者が闇バイトになぜ応募するのか?そして、法律に違反することをなぜ実行してしまうのか?
追い詰められて自死を選んだ政治家は何人いたでしょうか?
利益が上がらない薬の製造を辞めてしまう製薬会社。
子どもを虐待し、挙句に殺してしまう親。
親を殺害してしまう子どももいるけど、我が子の人としての心・感性を育てることができなかったんだから仕方がないけど、親ではなく他者を殺害してしまったら、、、、、、。
親は、我が子をきちんと育てる責任があると思いますが、その親が虐待を受けて育った場合、虐待は連鎖すると言われているので、まずは親に人間の愛情を教えることが必要ではないかと思います。
文化芸術(音楽)は、人としての心・感性を育てるのに必要なものなのです。
音楽は、心・感性を育てるためだけではなく、人間の心を保つ為にも必要なものです。
私は、福祉や医療の仕事にも携わっていたことがありますが、障害者を相手に仕事をしていると、障害者を下に見ると言いますか、見下しているということではないのですが、それこそ心が貧しくなっていくのを感じました。
福祉関係の仕事をしている人たちは、「支援」という言葉を頻繁に使います。
私は、母を介護するようになったとき、「支援」という言葉を何度も何度も言われるうちに、自分はダメな人間と思うようになり、自分が惨めに思いました。
そのときに、自分が福祉に携わっていたときの自分自身の心の貧しさに気がついたのです。
私も同じだったからです。
心の貧しさは、自分では気がつけないのかもしれないと思いました。
ただ、福祉に携わっていたときも、ピアノや声楽の個人レッスンは受け続けていたのですが、ながーくお世話になっていた声楽の先生から「あなた、心はどこへ行ったの?」と言われたことがありました。
そのときは、自分の心の貧しさに気づくことはできなせんでしたが、なんとなく違和感はあり、「このまま続けていたら心が壊れてしまうかも」みたいな感じがありまして福祉の仕事は続けられなかったのです。
社会福祉士や介護福祉士で福祉のお仕事をされている生徒さんや、医師や看護師で医療に仕事をされている生徒さんもおり、いつだったか、毎回心を感じられない演奏をされる福祉の仕事をされている生徒さんがおりまして、生徒さんに「心は豊かですか?」と質問したのですが、「豊かですよ」とお答えになられました。
変な質問でしたけど、心が貧しいように感じたのです。
心が豊かということは、美しい音や音楽、美しいものを美しいと思えたり感動できることだと思うのですが、この生徒さんの演奏からは感動や心の躍動みたいなものが感じられなかったのです。
「お仕事が大変なんだろうな、心が疲れているんだろうなー」と勝手に思っていました。
私自身、障害がある生徒さんのレッスンの後は、頭も身体も疲労感でヘトヘトになり思考力ゼロになり心が無い状態になります。
私の場合は、ながーく音楽を続けているので、自分で心に栄養を注入することができますが、できない人もいるかもしれませんね。
今の私は、バッハの平均律を淡々と弾いていると心が元に戻ります。
これが音楽の効果ではないかと思います。
ピアノのレッスンとは、人間としての心と感性を育て、人間の心を保つ為にあると思っています。
人間がお互いに尊厳を認め誰もが自分らしく幸せに生きる為に、音楽という芸術があり、ピアノ教室が存在しているのです。
と、わたくし結城美帆子は思います。