おはようございます。
ピアノ教師の結城美帆子です。
本日もブログにご訪問頂き誠に有難うございます。
本日は、わたくしが様々な人にピアノを教え続けている理由、ピアノ指導の原点についてお話ししたいと思います。
私が子どもの頃は、ピアノを誰でも習わせてもらえるような習い事ではなく、お金がかかる習い事だったと思います。
色々なことがあり、私は母に「ピアノを習いたいのに、お金が無いからピアノを習えないっておかしい、障害があるからピアノを習えないなんておかしい、私はどんな人にも教える」と言って、ピアノ教室の看板を掲げました。
その時、母は、微笑みを浮かべ「やってごらん」と言いました。
看板と新聞に折り込み広告を入れて、1ヶ月で3歳・5歳・小学1年生・小学2年生・中学1年生の7名の方がレッスンに来てくださいました。
最初から悪戦苦闘でした。
レッスンの途中で、母に「生徒が喋ってくれないの」と泣きついたこともありました。
人にものを教えることが、こんなにも大変なこととは思っていなかったということです。
自分が理解出来ることは、誰でも理解出来ると思っていたのです。
自分が如何に世間知らずで馬鹿だったか思い知らされました。
色々なレベルの人間がいることを実感した瞬間だったかも知れません。
その時は、不思議とピアノを教えるのをやめようという発想にはならずに、色々な勉強を始めました。
学びの中で、色々な方々との出会いもありました。
佛母寺の亡き尼さんからは、「あなたは世の中の上澄だけを見ていませんか?捨て犬や捨て猫と一緒の布団で寝ることが出来ますか?」と問われました。
26歳の時でした。
それがきっかけで、動物に関わったり、障害者に深く関わるようになり、第1級障害者施設で介護の仕事を始めました。
そこの施設長さんに最初に言われたことが、「施設の目的は、広い意味での入所者の自立です」でした。
働き始めて、入所者が服用している薬の多さに疑問を抱き、施設長さんに「なぜ、こんなに多くの薬を服用させているのですか?ここまで強い精神安定剤や睡眠薬が必要なのですか?」と質問をしましたら、「ここは、薬を服用させなかったら動物園よりも酷いですよ」と仰いました。
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人間の尊厳てなんだろう?
人はなぜ生きるのだろう?
幸せってなんだろう?
私の頭の中は、はてなマークで一杯になりました。
悩みに悩み、私は、ピアノで音楽で人々を幸せにしたいと思い今に至っております。
私も生活をしていかなければなりませんので、無報酬でのレッスンは出来ませんが、障害があるからという理由でレッスンをお断りすることは致しません。
一人でも多くの人にピアノの楽しさと表現する喜びをもたらしピアノ愛好家を増やすこと、そして、音楽の楽しさを分かち合える人の輪を繋ぎ、音楽で幸せの輪を広げることをミッションとしてレッスンを行っております。
親御さんへのお願いです。
お子さんの可能性を信じましょう。
特に障害があるお子さんを育てている親御さんは、めげてしまうこともあるかと思いますが、親が我が子を信じず諦めてしまったらそこで終わってしまいます。
本当に力量のある指導者とは、もっともやりにく子、能力のない子に、きちんと解らせ、楽しませてこそ、プロの指導者と言える、と自分に言い聞かせて日々レッスンを行っております。