ピアノ先生の介護日記。結城美帆子

昨日は、朝病院へ行った時も夜行った時も、母の表情が何か怒っているようでしたので、朝は介護認定調査で市役所の人やケアマネージャーさんソーシャルワーカーさん師長さんがいたので、また退院後の話し合いをし時間もなかったので母の詳しい様子を聞かずに帰りましたが、夜行った時に今日のバイタルと様子を看護師から聞いたら、朝栄養剤を入れたら吐いたとのこと、母に「どこか痛いの」と聞くと「うん」と言うし、でも、どこが痛いかわかってあげられないのです。もどかしいです。自分が今の母だったらと思うと辛くなりますが、私は母のようには頑張って生きる自信はありません。もし、私が母のようになったら、病院に行くつもりはありませんが、もし親切な人が救急車を呼んでくれて病院へ運ばれてしまったら、治療をしてもピアノが弾けない状態になるのであれば、治療は拒否します。病院側が、倫理上治療をした場合は、延命を拒否します。点滴や経管による栄養剤投与も拒否します。餓死を選びます。なるべくそのような時期が遅く訪れるように日々健康に気をつけて生活をしておりますが、どんなに気をつけても、死は必ずいつか訪れます。わからない幸せがありますね。必ず死ぬことは、わかっているけど、いつかはわからないから生きていられる。癌の末期患者もそうじゃないでしょうか?死ぬのはわかっているけど、完璧にいつと言うことがわからないから一筋の希望を持つことが出来るのではないでしょうか?人間どのようになっても、ひとすじの光明があれば生きていられるのではないでしょうか?だから、医師は、神ではないのですから、患者から光明を奪い取るような言動をしてはいけないのです。

今朝、母を病院に見舞いに行った時は、表情もあり元気そうでした。きのうは、「どこか痛かったの」と聞きましたら「うん」と言いました。昨日の7時頃吐いたと看護師から聞いたので「お腹が痛かったの」と聞いたら「うん」と言いました。「今日は痛くないの」と聞いたら「うん」と言いました。「何か食べたいものある」と聞いたら、何も答えませんでした。今日は、結構会話が出来ました。意思表示をしてくれると幸せを感じます。幸せってこう言う事なのでしょうね。