ピアノを学んだ人の全てが音楽家になる必要はありません。
音楽を学ぶことは「素敵な人生の生き方」を身につけることです。
ピアノを学ぶことは「将来の生活を楽しく幸せに生きて行く為の投資」であると思います。
幼児期には「音楽的感覚の育成」と「聞いて→模倣して覚えて→行動する学習方法」が必要です。
児童期には「自分で自分に命令を与えて、それを実行して成功することを喜ぶ」「知的発達も幼児期とは全く異なる」など、精神的にも肉体的にも児童期に伸びる要素は沢山あります。
アナリーゼ(楽曲分析)、読譜、記譜、創作的活動、などの知的能力を必要とする学習に対して興味を持ち、自分から進んで学ぼうとする態度と能力が発達するのが児童期です。
同時に音楽に対する興味の持ち方も変化するので、この時期に沢山の名曲鑑賞が必要となります。
単なる鑑賞ではなく、彼らが興味を持つような指導と指示が必要です。
何しろ音楽は全ての文化の潮流の頂点にある芸術ですから、指導者たる者は美術、建築、詩、文学、など全ての芸術に明るくなければ、本当の音楽家とは言えません。
勿論宗教についても十分な勉強が必要です。
残念ながら日本の大学の教育システムにはないので、指導者が自ら学ぶことが必要なので、全ての指導者が教養が豊かなわけではないかもしれません。
イタリアに勉強に行った時に、西洋音楽を知る為には、教会音楽を知らないと始まらないと思い、教会に通いました。
私は、教会に通い聖書も勉強し「主の祈り」を唱えることが出来ますが、臨済宗の禅道場にも通い禅の勉強もしているので、般若心経も唱えることが出来ますし、精進料理も出来ます。
音楽の芸術的な深さに興味を持つのが小学高学年から中学高校生の時期です。
ですから、その指導は大変難しく責任あることなのです。
人間が人生の終盤に来た時、幸せな人生を送れるかどうかは、教養の豊かさではないかと思います。
音楽の知識や教養がなければ、演奏会に行ってもつまらないと思います。
「類は友を呼ぶ」ということわざがありますが、同じような価値観の人同士がコミニティーを形成します。
ピアノを学ぶことで教養を高め、幸せな人生を生きて欲しいと思います。
コンクールは、音楽を深く学ぶ為に参加しましょう。
点数は、どれだけ深く学べたかの結果です。
ピティナピアノコンペティションは、バロックから近現代の4期が学べるのでとても良い学びになります。
以前、お教室で発表会を行っていた時に、「曲に合わせた衣装を着用する」を課題にしたことがありました。
バッハを演奏した生徒さんは、バッハの時代の人はなぜかつらをつけていたのかを調べ始め、社会の情勢や、歴史に興味を持たれ、発表会では、バッハの時代にかぶっていたようなかつらをつけて燕尾服で演奏されました。
「浜辺の歌」を演奏した生徒さんは、矢羽模様の着物に袴をつけ明治から大正時代の髪型でショートブーツで演奏されました。
演奏は、「なりきる」ことってすごく大事なのです。
俳優や女優になったつもりで演奏すると良いのです。
発表会は、あなたが主役なのですから、あなたが自由に表現して良い場なのです。
コンクールの指導を行う前は、色々なことをしてました。
ピアノって、コンクールで金賞を取ることだけが良いことではないと思います。
そして、コンクールで成果を出している指導者が良い指導者と言うことでもないと思います。
生きて行く為に必要な教養をいかに高めることができるかが、重要なのではないでしょうか?