音楽は障がいや国境を超えて誰もが楽しめるものです。
生徒さんをピティナピアノコンペティションやブルグミュラーコンクール、その他のコンクールに参加させるようになって10年少々ですが、なんか違う方向に向いているような気がしています。
やればやるほど音楽の本質から離れていっているような気がするのです。
生徒さんが、ピティナピアノコンペティションで地区本選を一位で通過できて、全国入賞者記念コンサートに出場できた時も、なぜか感動は無く喜びもありませんでした。
ショパン国際ピアノコンクールin Asiaに参加した生徒さんが全国大会で金賞を受賞し、アジア大会でも金賞を受賞しましたが、その時も嬉しいとは思いませんでしたし、喜びも感動もなく、当たり前のこととしか思いませんでした。
生徒さんが、ピティナピアノコンペティションやブルグミュラーコンクールで予選を通過しても、こんなことを申し上げたら生徒さんと親御さんにお叱りを受けてしまうかもしれませんが、毎回思っていた通りの結果が出るので、喜びも感動も湧かないのかもしれません。
初めて教えた音大受験生を志望校の武蔵野音楽大学に合格させたときは、ものすごく嬉しかったです。
初めての経験でしたので、結果が出てみないとわからない状態でしたので、聴音と楽典は100点満点が取れる指導を行っていたのですが、実技は受験用の演奏を完璧にさせる必要があり、フレージングは一つではないので解釈が違えば、いくらミスなくきちんと弾けていても落とされる可能性がありますし、結果が出るまで一時も気が休まりませんでした。
ピティナピアノコンペティションも最初はどんなものかわからなかったのですが、初めて生徒さんをコンペに参加させた時も予選通過ができた生徒さんもおりましたので、コンペは基本的なことを出来るようにしておけば予選は通過できると確信が持てました。
コンクールは、なんのかんの言っても普段よりは練習をたくさんしなければなりませんから、努力は身につくかもしれませんが、そして、自分で設定した目標を達成することが出来れば達成感を得られ喜びも得られると思いますが、ピアノを習う一番の目的であるはずの「ピアノを弾く喜び」が得られているかどうかは疑問です。
生徒さんたちを見ていると、仕方がないとは思うのですが、私もですが、コンクールに参加される生徒さんのレッスンは、点数を気にしてのレッスンになってしまい、その曲を演奏する喜びが感じられないままレッスンが終わってしまっているように思うのです。
コンクールの曲ではなく、憧れの曲が上手く弾けるようになったときは、喜びや感動が得られるのですが、コンクールの曲は、生徒さんに曲が弾けるようになった喜びや感動がないような気がするのです。
私が子どもの頃は、今のように就学前から誰でも参加できるようなコンクールはありませんでしたが、ソナチネアルバムが弾けるようになったときは嬉しかったですし、モーツァルトのソナタが弾けるようになったときも、自分の成長を実感できて嬉しかったです。
発表会で上級生の曲を聴いて、いずれは自分もあの曲を弾きたいと思って頑張っていました。
ピアノを奏でる喜び、憧れの曲が弾けるようになった喜びを体感してほしいと思います。
その為には、憧れの曲を持つことですね。
コンクールは課題曲を演奏するので、コンクールに参加をし続けたままだと憧れの曲を弾くということがないかもしれませんね。
私は何事も10年続けると思ってやっているのですが、ピティナに参加する以前の生徒さんたちの方が、ピアノを楽しんでいたように思うのです。
もちろんコンクールで成長している生徒さんもおりますので、コンクールは向き不向きもあるのかなーと思う今日この頃です。
皆さんは、どう思われますか?