バイオリンのスズキメソッドの創設者の著書の中に「母国語を覚えるように、、、、」ということがありました。
母国語を話せるようになるのに、努力を要したでしょうか?
親や周りの人間が日本語を話している環境で育ったなら、本人は何の努力もせずに日本語が話せるようになったのではないでしょうか?
母国語をうまく話せるようになるための練習なんてことはしなかったのではないでしょうか?
もし、親や周りの人間が茨城弁を話していたら、茨城弁を聞いて育った子供は茨城弁になるでしょうし茨城弁のイントネーションになるでしょう。
ちなみに、茨城県の人は、「イ」と「エ」の発音ができないというのは有名な話で、以前は茨城県出身の人はアナウンサーになれないと言われており、声楽のレッスンでも「イ」の発声ができない人が多く、茨城県出身の私も「イ」の発声を直すのにけっこう時間がかかりました。
環境が如何に大事かということです。
普段の生活で母国語を話すのに何か特別な努力をしているでしょうか?
私は、ピアノも母国語を話せるようになったと同じようにピアノが弾けるようになってほしいと思います。
母国語を覚えたくなる環境があったように、ピアノが弾きたくなるような環境があるとピアノを弾くことが生活の一部となり、いつの間にかピアノが上手に弾ける大人になっていると思います。
普通に母国語を話しているように、みんなが普通にピアノを弾けたらいいですね。
あちらこちらで努力努力と言われ、結果が出せなかった人は努力が足りなかったからと言われる風潮があるように思います。
ピアノもピティナピアノコンペティションやその他のコンクールなどに参加すれ人は、死に物狂いで努力している人もいるようですが、コンペティションやコンクールで頂点に立つ為に努力をするのはナンセンスだと思います。
ピアノを弾くのが好きな環境で育っているのであれば、結果は自ずとついてきます。
ピアノは、家庭での練習を強要するものではないと考えております。
家庭でピアノを練習するかしないかは自由なのです。
本人が家でピアノを弾きたいと思えば弾けばよいことですし、弾きたくなければ弾かなくても構わないと思います。
本人がどうしたいか?どうなりたいか?
「あの曲が弾けるようになりたい」とか「もっと速く弾けるようになりたい」とか思えば自ずと練習をするようになると思います。
私の教室は、ご家庭での練習は自由です。
家で練習をしなくても、レッスンで弾けるようにレッスンをしております。
子供の場合、ご家庭での練習は、親子のコミニケーションのツールと考えております。
子供がピアノを弾くのは、ピアノという楽器を使って自分の存在を認めてもらう為でもあると思います。
子供は、ママやパパに自分が弾くピアノを聴いて欲しいのです。
ピアノを弾くこと、聴いてもらうことが自分の存在価値を認めてもらうことであり、自己肯定感につながっていくように思います。
ピアノの練習で子供を精神的に追い詰めないようにしましょう。
人には生まれ持った器というものがあると思います。
私はコンクールでてっぺんになれなくても普通にピアノが弾ける人になって欲しいと願ってます。
努力することで結果を出す方法を身につけて育った人の中には、他者にも努力を強いたり努力しない人を軽蔑するような人もおります。
世の中には、どんなに努力をしてもどうにもならないこともあります。
多分、どんなに努力をしても、地震や台風など自然災害から完璧に身を守ることは難しいのではないかと思います。
自分が被害を免れたのは運が良かったからということがあると思います。
生きていく上で大切なのは、努力も必要ですが、臨機応変に対応できる力と立ち直ることができる強くて柔軟な精神力、地頭力ではないでしょうか。
ピアノのレッスンは、教え方によりますが、地頭力を鍛えることができます。
私は、ピアノのレッスンで、地頭力が有り普通にピアノが弾ける人を育てたいと思っております。