ピアノの先生の介護日記。結城美帆子

ピアノは、ピアノの教室にレッスンに通うだけでは無く家で毎日継続した練習も必要です。毎日継続した練習をするためには、努力が必要です。ピアノだけじゃなく、自分の願いを叶えるために、みんな一生懸命努力してますよね。私自身もたえず努力努力の人生を送ってまいりましたし、生徒の皆様にも継続した練習と言う努力が大切ですと申し上げてきました。ピアノは、努力をすればしただけ結果として自分にかえってきますから努力が報われます。でも、親の介護は、最後は「死」なので、どんなに努力をしても頑張っても、どうすることもできないのです。精神分析的に言えば「去勢を免れていた」と言うのでしょうか?人間は、どんなに努力しても、どんなに頑張っても、死を免れることはできません。祖父母の死や愛犬の死もみじかで体験してきたのですが、こんなに深い敗北感を感じたことはありませんでした。ただ、実は、人生で大きく影響を受けた方々がお亡くなりになった時は、東敦子先生をはじめとして、秋山先生、丸山先生、安井先生のご葬儀には行かなかったのです。毎回悩むのですが、お葬式って亡くなったことを実感させられる場でしょう、だから行かないのです。お葬式に行かなければ、私の心の中にお元気な先生方のお姿のままで生きております。精神分析的に申せば、お葬式に行かないことで現実逃避をして「切断・去勢」を免れていたのでしょうね。私自身は、精神分析もピアノも声楽も生きるか死ぬかの状態でやってきました。精神分析もピアノのレッスンも声楽のレッスンも、お約束頂いた分析やレッスンを休んだら次のお約束が頂けませんから、精神分析なんかは40度の発熱でもぎっくり腰で動くのが辛い時でも「休む理由にはなりません」と言われましたし、電車が動かない時は「車で来れるでしょう」とか言われました。休めないから、休まないように日々健康管理に努めました。夏でもアイスコーヒーは飲みませんし、知らないレストランでは食事をしない、しない医師や看護師に身体を触らせることも極力避ける、すべて自己責任だからです。気軽に相談できるかかりつけ医を持つ。ピアノも声楽も、演奏会出演やリサイタルなんて生きている限り休むわけには行きませんからね。東敦子先生からは、演奏会出演一週間前の10か条のようなものも教えて頂きました。東敦子先生も癌には勝てませんでした。私もいずれ死にます。努力と言うことが、今はむなしく感じてしまいます。こんなにことを生徒の皆さんに言ったらダメですね、もうひと頑張りしなければ、どっこいしょ。