ピアノのレッスンは努力できる人を育てているわけではありません。結城美帆子

現在、ピティナピアノコンペティションの真最中で、参加される人は毎日一生懸命に練習をしていると思いますが、本来のピアノを習っている目的を見失わないようにしましょう。

けして、努力することを目的にならないようにしましょう。

ピアノが少しでも上手になりたいからレッスンにお越し頂いているはずです。

ピアノが上手くなりたいと願っている人に、努力が必要でしょうか?

どうぞ、ピアノを弾くことを楽しんでください。

コンペティションは、楽しさの延長上にあるはずです。

親は子供に期待をしないようにしましょう。

親が子供に少しでも期待をしてしまうと、子供は主体が無くなり親の期待に応えることが目的になってしまいます。

親が期待をしているというそぶりも子供に感じさせないほうが良いです。

その為には、結果に反応しない事です。

子供の成長の過程を認めてあげることです。

心理学的な観点からも精神分析的な観点からも、子供は親を観て(親の反応)自分の存在を確かめているようなところがあります。

一般的な子供は、自我の芽生えと共に親から離れなれるようになり、自分で考えて自分で判断し行動できるようになるのですが、自閉症の子供は主体が無いので、他者の存在がないと自分では◯なのか✖️なのかが判断できないのです。

自閉症の子供は、親や指導者が◯と言っているから、または怒っていないみたいだから、とか常に相手の顔色や言葉で、これは◯で、これは✖️なんだなと判断しているようです。

当教室に通う自閉症の子供たちは、レッスン室を出ると、付き添いの親御さんに「今日は良くできた?」と毎回聞いています。

私が「頑張って練習してきましたね、良く弾けるようになりました」と褒めて花マルを書いているのですが、それでも彼らには良くできたという実感がないようです。

ラカン派の精神分析家の向井雅明氏は、「自閉症者は主体が無いわけではなく、怖くて出せないだけだ」と申しておりますので、私は彼らの主体を引き出すように心がけてレッスンをしております。

自分の人生を生きていく為に大事なのは、探究心を育てる事ではないかと思います。

自分で考えて、判断し行動できることが必要なのではないかと思います。

コンペティションへの参加も、自分で目標を設定し、どうすれば目標が達成できるかを考え、もし失敗した時は、なぜ失敗したのかを考え失敗の経験を次の段階へとつなげていける人になって欲しいと願っております。

指導者も親も深い愛情を持って全力でサポートをするだけしかできないのです。

コンペティションは、一度舞台に上がって演奏を始めたら、全て自分で考えて判断し行動しなければならないのです。

演奏を始めて、もし、途中で間違えてしまっても、止まってしまっても、指導者も親も助けるすべはないので、どんなに幼い子供であっても、自分でどうするかを考えて(途中で弾くのを止めて棄権するか、頑張って演奏を続けるか、瞬時に考えて)判断し、行動しなければならないのです。

私は、受験生を長く指導しておりましたので、ピティナを始めてまだ10年少々なのですが、今まで一度だけ演奏中途中で止まってしまって、そのまま固まってしまって動けなくなり、係りの人が舞台袖から出てきてお子供を椅子から下ろしたというのを一度だけ見た経験がございます。

会場は、シーンとしました。

コンペティションは、自立の経験ができるのです。

コンペティションへの参加は、結果ではなく、成長とお考え頂くと良いと思います。

参加のさせ方にもよりますが、コンペティションは子供を大きく成長させてくれますよ。

目標を達成する為には、何をどうすれば良いかを頭と体で身につけることができるようです。

その為にも、子供が自由に考え判断し行動できるように、親は子供に期待をせず親ができることでサポートをしてあげることです。

練習の環境を整備してあげたり、レッスンの付き添いも大きなサポートです。