ピティナピアノコンペティションの審査員の多くは個人でピアノ教室を運営している方ですから、評価にさほど変わりがなく、同じ会場で数名の生徒さんが受けたりすると、どの生徒にも同じようなコメントが書いてあるので面白いです。
通称ピティナは、全日本ピアノ指導者協会と言うのが正式名称ですから、開業医の集まりである日本医師会と同じようなものかなと思っています。
ピティナの会員数と日本医師会の会員数は桁が一桁違いますけどね。
個人経営のピアノの先生と音楽大学の先生、個人開業の医師と大学病院または大病院の医師、
医師の場合は、まずは大学病院や大病院で研修から始まるけど、ピアノの先生は最初から個人経営の先生がほとんどです。
母校の指導者になれるのは、相当優秀じゃないと難しいですから、大学の先生と個人経営のピアノの先生とでは格が違うと思います。
大学の先生でも講師・准教授・教授では、一コマの報酬額が違います。
大手楽器店の講師になるためには、試験を受けますが、グレードによって報酬額が変わり、指導者の取り分は大体がお月謝の4割〜5割が相場ですから、生徒が10,000円のお月謝を支払っているとしたら、指導者に支払われるのは4,000円〜5,000円程度です。
そこから考えると、楽器店の講師を辞めて自宅で個人でピアノ教室を始めた時に、お月謝が5,000円と言う金額設定にするのもわからなくはないですが、ピアノを教える価値って、そんなにお安くて良いのでしょうか?
自分のレッスン価値を上げるために、生徒さんをコンクールに参加させ入賞させ、指導料を上げていく、みたいな風潮になっているような気がします。
みんながコンクールで通過できる演奏を目指しているからかもしれませんが、みんな同じような演奏でつまらない。
専門家を目指すのであれば基礎と言いますか規定を学ぶことは必要で、東京藝術大学に合格するためには徹底した基礎が身についていないと合格は難しいですが、入学してからは規定を壊すことが出来ないと演奏家の道に進むことはできないが、趣味でピアノを楽しむ生徒に対しては、もっと自由に個性を尊重する演奏をさせても良いのではないかと思っています。
グレン・グルドのような演奏をしたらコンクールで入賞は出来ないかもしれませんが、グルドの演奏を好きになりグルドのように弾きたいという生徒がいたら、生徒が思うように弾かせても良いと思います。
ちなみに、私はグルドの演奏が好きです。
確かに「わー」って言う感じですが、生きてるって感じるのです。
グルドは、すごいテクニックの持ち主だったと思います。
私が、グルドを知ったのは、精神分析の研究会でした。
グルドは自閉症だったようです。
音楽の本質とは、音で何かを表現することです。
指導者は、生徒がピアノを通して自由に表現できるようにしてあげることが大切なのではないでしょうか?
グルドはバッハが有名ですが、ベートーヴェンもすごいです。
ピティナの審査員の方も、テクニックや楽曲の解釈ばかり講評するのではなく、演奏者の心を聴いていただけたらコンペティションに生徒を参加させた指導者として嬉しく思います。
私は基本的なことはしっかり教えますが、北村智恵先生も著書で書かれていますが、教えちゃいけないこともあると思っています。
コンクールで多くの生徒さんを全国大会に出場させている先生は、生徒さんに「先生と同じように弾くのよ」とおっしゃるのですが、全国大会出場を目的にされる方はそれで目的が達成できる可能性が高くなるかもしれませんが、音楽を楽しむことにはならないような気がします。
ピティナのコンクールは、基礎的なことが出来てミスが無く一般的な弾き方をすれば予選は通過できるように思います。
個性的な解釈で演奏をすると審査員の点数がバラバラになり通過が難しくなるように思います。
生徒さんが「予選を通過したい」と言えば、予選が通過できる弾き方を教えますが、点数は気にせず自分の演奏をしたいと思えば、個性が十分に出せるように指導します。
本来、コンクールというものは、プロの演奏家になる為の登竜門なので、伸び代を持ちコンクールではきちんとした演奏が求められるのです。
少々難しいお話でした。