コンクールブームに疑問。結城美帆子

ピアノのみならず、世の中にはたくさんのコンクールがあります。

スポーツの世界では、大会があります。

みんなテッペンを目指して頑張るのでしょう。

高校野球もテッペンをを決める夏の甲子園が始まっており、茨城県で優勝し甲子園に出場した霞ヶ浦高校は、一回戦で敗退したようです。

ピアノもバレエもスポーツも、「テッペンをとりたい」と願って、一生懸命頑張るのでしょうね。

目標を持つことは、良いことだと思いますが、主催者の「メシのタネ」になるのだけは避けたいですね。

高校生のことを思っていたら、こんな暑い熱中症が心配な時期に開催するでしょうか?

昔は、今ほど気温が高くなかったと思いますが、今はどうでしょうか?

私は、大学生のお正月の箱根駅伝は好きなのです。

あのチームで頑張る学生の姿は、いつ観ても感動します。

箱根駅伝は、営利がからんでいないように思えるので、純粋な気持ちで観ることができるから感動するのではないかと思います。

選手の頑張りと、監督の監督としての力量が勝敗を分けているように思うので、人間の純粋な愛を感じます。

駅伝は、利己主義の人はダメでしょうね。

高校野球のある黒い噂を耳にしたことがあります。

甲子園に何度か出場した高校の話ですが、親が自分の子供をレギュラー選手にする為や、甲子園で打たせたいからと、監督さんを接待したり袖の下を渡したりしているとのことでした。

ピアノの場合は、テッペンを目指している人たちは全国大会の審査をする先生のレッスンを受けたりそれ相応の先生のレッスンを受けたりしますから、袖の下ではありませんが、お金がかかります。

バレエのコンクールも、コンクールに参加するだけで個人レッスンが必要になりますから、ピアノ同様に相当のお金がかかります。

親がお金を出せる家に生まれた人しかテッペンを目指せないのは、おかしいと思うのです。

私が通っていた高校は、公立だったからかもしれませんが、今はわかりませんが、音楽科には3人の教諭がいて、この3人の先生は、放課後や夏休みのレッスンなどは、私たちは毎月お給料を頂いているからといって、無料で行ってくださいました。

私が通っていた高校の音楽科は、お金持ちの家庭の子供でなくても音楽の勉強ができたのです。

レッスン料が安ければ良いというわけでもありませんが、海のものか山のものかわからないのに、才能があるとも思えない子供に、あたかも才能があるかのごとくいってレッスンを受けされるのは如何なものかと思う。

努力だけでは夢は叶わないと思います。

40年ピアノを教えてきて思うことですが、ピアノや歌は、持って生まれた才能というものがあると思います。

どんなに努力をしても越えられないものもあると思います。

持って生まれた才能がなかったら、どんなに素晴らしい指導者にレッスンを受けても、どんなに裕福な環境でも、ピアニストにはなれないでしょう。

私は、音楽を楽しんで頂きたいと願ってピアノを教えております。

ピアノは、音楽を学ぶ上で基礎になります。

ピアノを弾くためには、音符が読めなければ弾けませんし、ある程度基礎的な楽典の知識もないと弾けませんから、ピアノで培った知識があれば、コーラスや吹奏楽や趣味のオーケストラの団体に入って仲間と音楽を楽しむこともできるのです。

ピアノのレッスンは、音楽を楽しむことを目的にあると思います。

そんな中で、私がピティナピアノコンペティションやピティナピアノステップへの参加をお勧めしているわけは、けして争うことではなく、客観的なレベルの把握ができるからです。

そして、人前で演奏する経験が、喜びを感じるからです。

練習がプレッシャーにならないようにしたいのですが、本当は練習なんていう言葉は使いたくないのですが、何にも言わないと本当に1週間全く家でピアノを弾いてこない生徒さんもおりましたので、練習しましょうと申し上げるようにしました。

でも、ピアノを弾きたいからレッスンに来ていると思うので、弾けるようにレッスンをすれば、お家で弾いてくれると思ったのですが、違うのかな?

私は、ピアノが弾きたくて弾きたくてしょうがなかったので、時々「いつまで弾いてんの、もう寝なさい。」って叱られることがありました。

私の子供の頃は、ピティナピアノコンペティションなんてありませんでしたから、色々な曲が弾けるようになるのが楽しくて弾いてました。

そして、発表会や学校の文化祭などで弾かせてもらうのが嬉しかったです。