やまゆり園の障害者刺殺事件から一年が過ぎて。結城美帆子

まだ裁判が始められないこの事件。きれいごとだけで片ずけてはならないと思います。親がいるのに、なぜ施設で生活をしているのか?施設に追いやっているだけではないでしょうか?お金の問題だけではありませんが、障害者一人に年間いくらの税金が使われているのか皆さんお考えになったことがありますでしょうか?特別支援学校の生徒一人に年間いくらの税金が使われているかご存知でしょうか?幸せって、なんでしょうか?生きるって、なんでしょうか?人間は、他者の欲望でこの世に生まれてきます。自民党の野田聖子議員のように、自分の欲望だけで、リスクがわかっていたにもかかわらず、この世に障害者を生みだしてしまった人もいる。障害があるからと言って、何もしないで支援を受けるだけで一生を終えて良いのでしょうか?私は、障害者も支援を受けながらでも、できることは行い、社会の中で生きるべきではないかと思うのです。特別支援学校を卒業したら施設に入るのでは無く、家で家族と生活をしながら生活をすべきだと思うのですが、施設に入れる家族が多いのです。私が以前お仕事をさせていただいていた障害者施設では、特別支援学校からよく見学に来ておりました。色々な人がいるのが社会でしょう。色々な人がいるのが家族でしょう。なぜ、ともに暮らそうとしないのでしょうか?愛する子供となぜ一緒に暮らさないのでしょうか?きれいごとだけで、障害者のことは語れないと思います。なぜなら、最初にアウスビッシュのガス室に送られて殺されたのは、ユダヤ人ではなく、障害者でした。日本でも戦争中、障害者の施設を見捨てた経緯があります。誰でも、幸せに生きる権利があると思いますが、義務もあると思います。私が障害者にピアノを教えている理由は、障害があっても、自分の責任において人生を楽しみ謳歌して欲しいと願うからです。