元衆議院議員で厚労大臣もおやりになられた丹羽雄哉氏は石岡市の出身です。
県会議員を長〜くされていた手塚克彦氏も石岡でお生まれになられて県会議員を辞めてからは石岡市で医師をしているようです。
斎藤病院院長だった斉藤氏は、茨城県医師会会長をされておりました。
石岡市には、それなりの人たちがいたにもかかわらず、なぜ今のような状態になってしまったのでしょうか?
石岡医師会病院を建設した時の議事録の中にヒントがあるのではないでしょうか?
今のように二次救急とか三次救急なんて無かった時代、石岡市民は今は亡き青木病院や佐久間医院や横瀬医院の先生方にお世話になったのではないでしょうか?
3人の先生方がお亡くなりになられてからは、石岡市で時間外に診察をしてくれる医師がいなくなったのではないかと思います。