「愛」について。結城美帆子

人間は、母親の命がけの「愛」によってこの世に誕生すると思いませんか?出産は、命がけです。母親は、約10ヶ月の間自分の体内で子供を育てているのです。そして、自分の命をかけて我が子を出産するのです。欲望だけでできることではないと思います。我が子への愛がなければできることではないと思います。女性は、恥も外聞も捨て、命をかけて子供を産み母となるのです。産まれて初めて婦人科の内診室に入り内診台に上がった時の思いは、いまだに忘れられません。「女性は、なぜ、このような屈辱的なことをされなければならないのかと怒りに満ち、人間をお創りになったであろう神を恨みました。」殿方には殿方の女性にはわからないこともあると思いますが。恥も外聞も捨て、命がけで我が子を産むことができるのは、我が子への愛があるからです。障害がある方が通われている施設でお仕事をされている方が「子供を愛せない親もいますから」とおっしゃっていたのですが、そうでしょうか?我が子を虐待したり、殺してしまう母親もいるのは事実ですが、愛がなくて行った行為なのでしょうか?愛と憎しみは紙一重だと思います。愛するがゆえ、憎しみも湧いてしまうと言うこともあると思います。また、愛したくても、愛せないと言う人もいるのではないでしょうか?障害を持って産まれてきたから愛せなくなったと言うのであれば、母親の心の問題ではないでしょうか?障害者や福祉に税金が使われるのは、なぜだと思いますか?誰の為に国は障害者や福祉に税金を使っていると思いますか?国は、障害者を施設ではなく、地域で在宅で生活としたのでしょうか?医療にしても、なぜ在宅医療をすすめているのでしょうか?お金の問題だとは思いませんか?財源が乏しくなってきて、バラマキができなくなってきたからではないでしょうか?国は、在宅医療の方が費用が抑えられると言ってますが、母を介護した経験から、在宅の方が個人負担の金額は大きいです。要介護1の状態から要介護5までの状態になった母でしたが、デイサービスを毎日利用して、要介護1でも要介護5でも毎月の自己負担金は30万円から35万円くらいでした。家族は、どれだけ一生懸命に介護をしても報酬はないのです。あるのは、愛だけです。子育ても、報酬はないのです。子育ても、あるのは「愛」のみです。人間が人間として生きていく上で必要なものは、人間の愛情なのではないでしょうか?病院でも、施設でも看取りもしてくれますが、「看取り料」が保険で加算できるのです。無償の愛で看取れるのは、家族だけです。ボランティアさんがいるかも知れませんが、「信頼の会」なども契約がありますから無料ではないのです。そんなことを考えていると、無償の愛でつながっているのって、母親と子供の関係だけに思えてくるのは、私だけでしょうか?世の中には、どんなにお金を積んでも、お金では買えないものもあります。人間の心は、お金で買うことも、法律で縛ることもできません。そんなことないと言う人もいるかも知れませんが、私の心は、お金で買うことも、法律で縛ることもできません。私は、嫌なものは嫌なので、どんなにお金を積まれても嫌と思ったことはできませんし、法律で決まっているからと言われても、法を犯して刑務所に入ることになっても信念を貫き通す所存です。今までのところ、ギリギリグレーゾーンは何度かございましたが、優秀な弁護士さんたちのおかげで刑務所に入らずに済んでおります。弁護士さんや、司法書士さん、税理士さんの皆さんにお世話になっております。今、お世話になっている優秀な弁護士さんや司法書士さん、税理士さんがいなかったら、けっこう大変だったことがありますが、いつも助けて頂いており、感謝してます。