「人間の欲望は、他者の欲望である」とラカンの言葉。結城美帆子

人間は、他者の欲望(親の欲望)で、この世に生まれて来る。輪廻転生や因果の法則など、仏教的な教えを信じている人は、違うと思いますが、私は仏教徒ではないので、輪廻転生も因果の法則も信じておりませんので、私が今この世に存在しているのは、私の父と母の欲望により、私は今ここに存在しているのです。けして、自らの意志で、生まれたいと思って生まれて来たわけではありません。子供は、親の欲望で生まれて来て、親の介護と言うミッションを与えられます。生まれて来たから、一生懸命に生きているだけです。「五体満足に産んでくれて、有難う。」と言う言葉を聞く事があったりします。雅子妃殿下も言いましたが「産まれてきてくれて、有難う。」と言う言葉を聞く事もあります。私の母は、「手と足があって五本の指がついていてホッとした」と聞かさせた事がありました。今は、そんな事はないと思いますが、昔は、結婚して子供ができなかったら、離縁されても女性は文句を言えない時代もあったので、その頃の女性にとったら、子供を産む事で、やっと自分の居場所が確保できたのです。昔は、子供と言う「盾」を持たなければ、人間として認めてもらえない時代もあったようですね。子供を産むだけではなく、五体満足な子供を産まなければならなかったのでしょうね。障害があって生まれて来た子供は、どこかに連れて行かれてしまうようでした。近所に、産まれた時から施設のようなところに入れられていた人がおりました。お妾さんなんて言うのもおりましたし。実は、私の家にもお妾さんがいたのです。私の祖父のお父様には、若いお妾さんがおりました。ですから、私の曾祖父さんのお妾さんです。曽祖父は、お妾さんに、質屋さんと雑貨屋さんをやらせていたようで、私は、曽祖父のお妾さんの事を、小さい頃しか会ってませんが「おみせのおばちゃん」と呼んでおりました。子供の頃は、何の事かわかりませんでしたが、昔は、法律的にも世間的にも許されていた事のようです。私個人としては、色々わかってくると、受け入れられなくて、相当悩みました。正直、今でも受け入れられません。小さい時から大人の世界をまじかで見ていて、どうして、障害がある人はどこかへ連れて行かれてしまうのだろう。と不思議に思っておりました。そのうち、障害を持って生まれて来た人は、山の中へ捨てられてしまうんだ、と、妄想が広がってしまった時期もありました。私が、障害がある方にもピアノを教えているのは、子供の時の思い出があるからです。障害があってもなくても、生きていく上では関係ないでしょう。障害者を排除すれなんておかしいでしょう。みんなお友達なの。どうして今は、分けてしまうのでしょうか?もっと、一人一人に向かい合い、その子が求めているものを一緒に探してあげれが、その子は自分に必要なものを手に入れる事ができます。もっともっと一人一人をよく見つめてあげて、その子が望んでいるものを教えてあげれば、ピアノは弾けるようになるのです。子供だけじゃなくて、熟年の方も、わかるように教えてあげれば弾けるようになるのです。ピアノは、けして、 難しくはないです。教え方が上手ければ、そんなに苦労しなくても弾けるようになります。言っちゃいけないと思うけど、「どうして、僕を私を障害者に産んだの、どうしてみんなと遊べるように健常者に産んでくれなかったの」と、私だったら行ってしまうと思います。私の教室にピアノを習いに来てくれている生徒さんたちは本当に偉いと思います。いい子達で会うよね。でも言いたい事は我慢しないで行っていいんですよ。言わなきゃ誰もわかってくれないですから、言いたい事は言って下さい。もちろん私にも、言いたい事があったら、遠慮無く言って下さいね。みんな一生懸命生きて頑張っていますよね。いつまでも、いつまでも応援するからね