「ピアノ、嫌(いや)」。結城美帆子

ブルグミュラーコンクール・ファイナルに出場する年少さんの〇〇ちゃん、昨日「ピアノ、イヤ」と人前ではじめて言ったとお母様からメールを頂きました。

コンクールは、音楽を深く勉強することなので、年少さんにはつまらないかもしれませんね。

小さいお子さんは、ピアノが弾けることに喜びを感じますから、「ここは強く弾いて」とか「ここは弱く弾く」とか色々うるさく言われるとピアノが楽しくなくなってしまうかもしれませんね。

同じ曲でも、下手くそな演奏と上手な演奏の違いを聴き分ける感性と耳を育てることが重要です。

指導者や大人が、「こう言う風に弾くと上手なのよ、こう言う風に弾くと大きなトロフィーがもらえるのよ」と言っても、本人が望まなければできないかもしれませんし、心を教えないと、心を伝えないと、意味を伝えないと、調教になってしまいます。

どうしたらトロフィーがもらえる演奏をさせることができるか?

子供の将来を考えて、トロフィーを取らしてあげたいと思っても、本人が心からトロフィーが欲しいと思わなければ本人の為にはならないかもしれませんね。

子育ては大変ですよね。

子育てに成功なんてないですしね。

子育ての成功本みたいなものがありますが、たまたま親の思ったように子供が育ってくれただけのことです。

人間の心は非常に複雑ですから、難しいのです。

ただ、どんな結果が出ても、思うような結果が出なくても、思うように練習ができなくても、愛を与えることを忘れないように致しましょう。

頑張って欲しいとは思いますが、みんながみんな頑張れるわけではないですし、それは子供だけではなくお母様にも言えることではないかと思います。

たくさん頑張れる人もいれば、少ししか頑張れない人もいる、色々な人がいるのが世の中です。

お子さんが、もうブルグミュラーコンクールの課題曲の練習は嫌ならば、ファイナルは棄権しても構わないのではないかとも思います。

ファイナル出場やファイナルの結果にこだわることなく、本人が望むように新しい曲に進んでも良いのではないかとも思います。

「課題曲の練習は嫌」と言うことは、ファイナルに出場したくないし、トロフィーもいらないということではないかと思います。

小さいお子さんですから、ファイナル出場の意味もわからないと思いますし、トロフィーをもらう意味もわからないと思いますが、精神分析の観点から考えると、〇〇ちゃんの主体を尊重しても良いのではないかと思います。

もう少し成長すると欲が出てきてトロフィーが欲しいと思うようになるかもしれません。

本人の主体性を大切に見守ることも愛情ではないかと思います。

指導者としては頑張って欲しいと思いますが、精神分析家の立場からは、本人主体で良いのです。

どんなに小さい子供であっても、精神分析では、自分の責任において自分で決定することを求めます。

それが自立して生きて行くことになって行くのです。

指導者や親は、色々なものを与えますが、最終的に選ぶのは本人の主体が選び決めるのです。

たとえ逃げるような行為でも、本人の責任と考えるのが精神分析なのです。

子育てって難しくて、歯がゆくて、大変ですね。

結局、親って何にもできないのかもしれません。

ラカンは、「愛とは無を与えること」と言っております。